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2015.09.15 Tuesday
ふた親ともに死んで、いままでの人間関係が全部切れたとしても、生きていける準備をしていた。
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最近ワイフとよく話すのは、いままでよく生き残れたな、ということ。

余計な敵を増やし、あたりかまわず喧嘩を売りまくり、好き勝手に生きる。普通ならあのタイミングで詰んでたよね、という喧嘩イベントが数ヶ月に一度の頻度で発生する。何も岡山に帰って来てからそういう事になったわけではない、都内で仕事をしてた時もよく喧嘩をしていた。

ふと思い返してみると、喧嘩する相手にはただひとつの共通点があることが分かってきた。それは、

跡継ぎ(あとつぎ)

ようは親の跡を継ぐボンのこと。

跡継ぎと言ってもいろいろある。職種は同じだけど自分の名前で独立してやっている人もいるし、意思を継ぎながらも自分の力で事業を起こして拡大させていく人もいる。そういう人に対しては、僕はリスペクトを隠さない。本当に尊敬している。

ここでいう僕が喧嘩を売る跡継ぎは、完全に親や家業の下に入って、それまでの親や家系の威光を笠に着る、親の庇護のもとで偉そうにしている人たちのこと。種別で言えば、青年会議所や商工会議所の青年会に属する人たちに多い。

何かの組織が立ち上がった時、理事に地方の名家や大店の跡継ぎたちが名を連ねる。地方だと、氏素性がはっきりしていることが重要になるので、それはまあ、しょうがない、いまだに出生差別が根付いているんだと思う。

人はどこに生まれるかを選べない。

地方に住んで15年が経つが、地方が衰退する原因は、家や既得権益を守ろうとする跡継ぎが、自分たちの縄張り内での新たな萌芽を潰していることにある。そして跡継ぎだけのコミュニティを形成して、人間関係だけで経済を回そうとしている。現在進行形で。

僕のように、誰の子であるか、どこの生まれであるか、家業を継いでるかどうか、という項目で見ると何も持たない存在からすると、地方での人間関係や、親の存在は、事業を進めるにはまったく意味が無い。

ふた親ともに死んだいま、いままでの人間関係が全部切れたとしても、生きていける準備をずっと続けてきた。生まれではなく、自分が何をしたか、何を成し遂げたかだけが、自分の評価になる。

母の葬儀には四親等以内の親族は僕ひとりだった。あとは血のつながりのない他人だ。姉は金を持って逃げた。他の親族も、過去に家の金を持って逃げた。僕はたったひとりだ。横には血のつながりのないワイフがいる。

僕はそれが当たり前だと思って生きてきた。だから、跡継ぎだけが集まる組織を見ると身震いがする。僕のような「家」の生まれでない存在は、いつでも自分以外は他人だと叩き込まれる。だから、たとえ地元での人間関係がすべて破壊されても、生きていけるように準備ができている。



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